長谷川 紫陽のブログ

「能動的」行動が無ければ一生奴隷のまま

「能動的」行動が無ければ一生奴隷のまま

2025年03月04日 01:04

「能動的」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

「受動的」とは対比される言葉だ。


前者は、自発的に積極的に行動することだ。

後者は、簡単に言うと受け身姿勢で行動するということだ。


自分の人生は、このどちらを選択するかで

「自分の」人生を生きるか、

「他人の」人生を生きるか変わってくる。


なのにも関わらず、これを軽視しているやつがあまりにも多すぎる。


人生を限りなく「能動的」に行動することで幸せを掴めるにも関わらず、

いつまでも「受動的」に生きているやつがいる。


ある人は言うだろう。

「受動的」に生きて行くしかなかった、と。


おれはこの言葉を聞く度イライラするんだ。


「受動的」ということは、

自分の人生を「軽視」して、

ただ「与えられる」のを待ってずっと口をあんぐりした状態で、

自分の価値を「自分自身」で限りなくどん底まで下げて、

何も戦わない、戦う前に諦め降伏し白旗を振っている状態。


おれにはそういう風にしか見えない。


確かに簡単ではないよ。「自分の人生を生きる」ことは。

だがそれは「他人の人生でいいや」という風におれは絶対にならない。

おれはおれの好きなように生きたい。

一度きりの人生だと思うと、やりたいことなんてやってもやりきれない程だ。


人間の能力なんてそれぞれ比べて大差はない。

テクニックをいくら知ったって意味はない。

例えば、今お前の手の平にはスマホがある。

全ての人が平等に知識を得ることができる時代なんだ。

しかも無料で。


同じ土俵に立っているはずなのに、なんで勝ち負けが決まると思う?

何が無いから勝てないと思う?


それは「意思」だ。


この人生を自分のものにしようとする強力な感情だ。


そして、そろそろ自分が甘いことに気づいた方がいい。


今の自分のレベルで人生が上手くいかないと嘆いているやつは、

心の裏腹では自分のレベルを過信し過ぎている節がある。


「なんで上手くいかないんだ?」って?


甘いからだよ!行動量が足りな過ぎるし、

やり方が間違っているにも関わらず、過信し続けいつまでも修正しないからだよ!


「意思」を持ち、壁にぶち当たったとしても尚やり方を変え、違う方法で戦ってみる。

そしてまた倒され立ち上がり、そうすることで人間はどんどん強くなってくる。


人生で勝負も挑まず、ずっと守られてばっかで生きていると、

ずっと誰かにコントロールされていないと「何をしたらいいか分からない」身体になってくる。

もうそれは「奴隷」の状態。


本当にそれでいいのか?


年齢は関係ない、早い遅いもない。

今日、今、この瞬間に気持ちを切り替えないのは怠惰以外の何ものでもない。


人間が日々積上げられるものなんて、ほんの少しだ。

ただ、これさえも積上げられないやつの言い訳なんて聞きたくない。


言い訳している今この瞬間を「積み上げ」の時間に使え。

そうして毎日を積み上げて行くと、いつかふと振り返った時に、とんでもない量の努力が積み重なっているって気づく日が来る。


そうなればもこっちのものだ。

「気づかない」うちに成功しているし、

「気づかない」うちに能動的に行動していた自分に気づく。


もう、受け身だった日々は遥か遠い過去になり、

今「自分自身」を生きる自分が見えてくる。


もうやることは分かったな。

さあ、行ってきな。