
命綱
2025年03月06日 23:07
今、目の前に「勢いよく飛べば向こう側に着地できそうな崖」があるとする。
お前の足元には、命綱になるロープと深く地面に刺さっている杭があるとする。
さて、
①命綱を腰に巻いて飛ぶ
②命綱は使わず飛ぶ
どちらの方がより向こうに着地できる確率があがるか?
「恐怖」とは何か、ここで再定義しよう。
うつ病やパニック障害をはじめとする精神疾患は、
この「恐怖」が出発点となる。
ある特定の行動や事象が「怖い」と感じ、
それが無意識の内に増大し、
とうとう身体をも縛り動けなくする。
そこでこの恐怖というものは、自分の中の「敵」になり、
「闘病」という表現でも使われるように、
いつしか「戦わなくてはいけない」相手とみなされるようになっていく。
思い出して欲しい。
過去、恐怖は「仲間」であり身体の一部だった。
今まで死なずに生きてこれたのは、その恐怖が正常に働き、危険を避けて生きてこれたからだ。
小さい頃から無意識の内にこれは働いていた。
過去を振り返って、
楽しかった経験も、
幸せだった出来事も、
充実していると思った瞬間も、
全てこの「恐怖」の機能が正常に働いていたからこそ、
危険ではない道を選んでくれ、前へ進めていた。
そう恐怖は本来、お前を生かすために存在するものだった。
だが、いつしかそれは敵となり、戦うべきものとして認識されるようになった。
お前は恐怖を抑え込もうとし、振り払おうとし、恐怖の発生を避けて生きて来た。
しかし、それで状況は好転に向かっただろうか?
ここで、先ほどの崖の話に戻ろう。
命綱をつけたまま飛ぶのは、身の安全を確保しながらの挑戦だ。
失敗しても助かる道を残している。
心のどこかで「落ちても大丈夫」という安心感がある。
そのためお前は余力を残した形で飛ぶことになるだろう。
そう、限界を超えた力を発揮することは出来ないんだ。
一方で、命綱を外して飛ぶとき、お前はどうなる?
その瞬間、心の奥底から「生きたい」と叫ぶ衝動が生まれる。
ただの挑戦ではなく、失敗すれば死ぬという状況で、
全身の細胞が目覚め、脳が研ぎ澄まされ、身体の全機能が限界を超えようとする。
これは、「死を恐れた」からこそ生まれる力だ。
ここで、恐怖の本質を定義し直そう。
恐怖とは、生きることへの執着だ。だから、
「恐怖」=「生きたい」という心の鼓動なんだ。
人は危険を察知したとき、恐怖を感じる。
それは、「ここで死にたくない」「生き延びたい」という強い願いの表れだ。
つまり、恐怖があるからこそ、人は本能的に生きようとする。
本当に極限の場面で、人間は生きるための力を振り絞る。
命綱があるうちは、その力は発揮されない。
「安全」が保障されている限り、本当の意味での「覚悟」は生まれないからだ。
では、精神疾患における恐怖はどうだ?
パニック障害やうつ病は、アラート機能の暴走だ。
もともとお前を守るはずの恐怖が、異常なまでに働き、
不要な場面でも「危険だ」と警告を鳴らし続けるようになった。
そして、お前はそのアラートを「敵」とみなし、戦おうとする。
だが、ここで改めて考えてみて欲しい。
本当に
恐怖を排除し、完全になくすことが解決なのか?
違う。恐怖はお前を生かすためにある。
重要なのは、それを「正しく使う」ことだ。
無理に消そうとするのではなく、恐怖を受け入れ、味方に引き入れろ。
やがて協力なパートナーになり、大きな敵にも立ち向かえるようになっていく。
命綱をつけるのも、お前の選択だ。
それを外して飛ぶのも、お前の選択だ。
だが、一つ言えるのはーーー
恐怖が仲間でない限りは、お前はいつまでもその呪縛から逃れられない。
恐怖を仲間に戻せ。受け入れろ。
そうすれば、恐怖はお前を縛る鎖ではなく、飛ぶための翼になる。
それこそが、「生きたい」と叫ぶ心の鼓動を、真に力へと変える方法だ。
そしてお前は振り返ったとき、
崖を超えていたことに気づくだろう。